突然すみません。関村恵那と申します。
私はインターネットと共に成長した真空管ベイビーです。その生い立ちをお話しします。
2004年に東日本に生まれ、そのまま18歳まで過ごしました。ちょうどとくダネで伝説の「働いたら負けだと思ってる」が放送されたあたりです。
幼稚園に入ると、星座の名前と県庁所在地とバイオリンを叩き込まれました。
年中の頃からは母親も働きに出て、一人の時間が増えたので家のWindowsXPでヤフーゲームとディズニーゲームばかりしていました。あと家族写真に鼻血を書き込んでいました。
母はこの頃まらしぃのファンで、車の中はいつもまらしぃでした。現在母はコムドット、ジュキヤ、カジサック、ヒカルにハマっていて、最終学歴は中田敦彦のYouTube大学です。
寝つきが悪く、夜中に起き出してはヤフーゲームをしていたので将来を心配されてました。あと共用パソコンをマルウェアに感染させました。この頃から私のネット人生が始まります。
小学校に入学しました。
学校は通うけどあんまり面白くなかったので、一日中教室の隅から湧いてくる小さな虫を踏み潰していました。
このころもうひとつはまっていたのは、「マリオの中学校生活」で、放課後は姉とパソコンを取り合いYouTubeでうごメモの動画を見ていました。その後、そのままりおのしょぼんのアクション実況に傾倒していましたが母親からはおじさんが喋っているのを見て何が面白いの、と嫌がられていました。
2年生になると父親の使わなくなったノートパソコンが与えられ、ついに好きなだけ動画が見れるようになりました!
この頃ハマっていたのはゲーム実況の 「マインクラフターの日常」や「もう俺、村人でいいや」 です。マインクラフターの日常は現在まで12年も続いている大作になっていますね。
給食で青い鬼のイラストが書いてある豆が出たとき、前の席の男の子が振り向いて「青鬼好き?」と聞かれました。彼も同じようにゲーム実況にハマっていて、2人でホラーゲームの青鬼の話をして盛り上がりました。(ちなみに彼は高校生になり共通の友達に性器の見せ合いを提案していて絶縁しました。)
ある日友達の家にWIIをしに行くと言う約束を取り付けたのに当日になって祖母に胸ぐらを掴まれていけなくなってしまい、残りの小学校生活は誰とも遊ばず家でネットをして過ごしました。
そうこうしているうちに3年生になりました。「日常」にどハマりして漫画を描くことに熱中し、ファンイラストもたくさん書いていました。ゆっくり実況にハマり、一日中合成音声を聴いていて家族から気持ち悪がられていました。
4年生ではクトゥルフTRPGにはまりました。特に好きだったのが「間違いだらけのクトゥルフ神話TRPG」で、あとは朝霧カフカの動画を見たりしていました。あとまらしぃに再熱してピアノの発表会で脳漿炸裂ガールを弾いたり、ニコニコ生放送にコメントするのにハマったり。(怖くて数回しかできなかったけど)あとpixivにイラストをあげはじめたり、ログインしていないけどTwitterを見始めたりしました。腐女子にはなれませんでした。
5年生になりました。この時初めてオタク話が通じる人に出会いました。
担任です。
担任は超がつくほどのオタクで、なぜか授業参観でまどマギの実況スレに書き込んでいたことを暴露してしまったり、調理実習で持ってきたネギを振りながらイエヴァンポルッカを歌ったりしてました。あと休み時間に一緒に哲学ニュースで2ちゃんねるコピペをみたり、クラス目標は「練習は本番の如く、本番は練習の如く」(けいおんの名言)だったり
クラスのオルガンが自由に使えたので千本桜を弾いたら、天才だからYouTubeにアップしようと言ってくれたのが嬉しかった!
合唱曲のパートごとにMIDIデータを作ったりもしてました。
6年生も同じ担任だったので、私のネット趣味も進んでいき、家から帰ったらまずまとめサイトの巡回をしてYouTube見て、ニコニコ見て、TSUTAYAで借りたひだまりスケッチ見て、スペースコブラの漫画を読んでいました。算数の授業で100メートルを5秒で走ったときの時速を求める問題が出て、コブラだ!と言ったらいたく感動され、後日全巻くれました。
あとイラストも少し上達して、この頃に漠然と美大に行きたいなと思いはじめました。卒業近くで先生への寄せ書きの表紙を描いたものです。先生が一番好きなキャラがキュウべえだったから(趣味わる!)
それかプログラマーになりたかったけど、担任にC言語をやるといいよといわれて少しやってみたら何が面白いのか全然わからなくて諦めました。
そして卒業し、中学生になってからは忙しくてオタク趣味もいつの間にかなくなりました。
以上が私のオタク青春時代です。以下ではハマっていた作品を列挙しこの記事は終わりにします。
・よつばと
・らき⭐︎すた